入院中のやばい出来事

<入院室にて>

つらかった手術もようやく終わり、入院室へと運ばれてきました。管を付けられていたので、とても気持ち悪い感じでした。個室だったので少しうれしかった自分がいます。それから、5時間たって昼ご飯の時間がやってきました。当時野球のクラブに入っていたので、持ってきてもらった昼ご飯の量がとても少なかったです。そこは、リクエストしてしっかり増やしてもらいました(笑)

 

という前話はさておき、本題に入っていきましょう。

その出来事は、夜に起きました。僕はふろにも入っていなかったので、看護婦さんがタオルを持って僕の部屋にやってきました。僕は服を脱がされマッパな状態にさせられてしまいました。目的としては汚れた僕の体を拭くことでした。僕はまだ違和感や痛みで起き上がることができなかったからです。また、その看護師さんも若い子だったので僕は肛門部分が立たないか心配でいっぱいでした。

 いざ、拭いてもらう時が来ました。最初は足から拭いてもらいその間に上半身を自分で拭いていました。肛門も自分で拭こうと考えていたら、なんと、看護婦さんが僕の肛門を拭いてきてくれたのです!!!でも、この時抑えるのに必死で頭が真っ白になりました。

 

皆さんもこのような経験をしてみたいならケガをしましょう(笑)

尿道ケガして入院中看護婦さんに、、、

 どうも皆さんこんにちはセタです!今日は尿道をけがしたときの実際の入院生活また、ケガの経緯を発信していこうと思います!

 

 <はじまり>

 それはある日のこと、僕はひとけが少なく、街灯もない薄暗い道を自転車で走っていると、突然地面がなくなり2mもの深さがある溝に落ちていきました。この時僕は、自転車の前の棒の部分で股裏を強打してしまいました。数分起き上がれず水深10cmぐらいのところで頭だけをあげて、寝そべっていたら通りすがりの二人組のおばさまたちが気付いてくれて自転車を引き上げてもらいました。このおばさまたちにはしっかり感謝の意を伝えて自分のスマートフォンで父親を呼びました。30分後に来たのですが、その間つらく、痛すぎて、道端で寝そべっていました。ケガについては、寝れば治るだろうという謎の思考により、放置していました。でもこのケガがのちに大変なことになるとはこのとき思いもしませんでした。

 父親が僕のところに到着しました。僕が車に自転車を乗せようとしたときある違和感がはしりました。それは、肛門らへんで何かが抗力なしに出てきているのです。。。一瞬ぞわっとしましたが、ほおっておきました(笑)

 家に帰りお風呂に入ろうとしました。すると、なんと、、、肛門の先から血がダブダブ出てきていました。。。これはやばい!!と思いましたが、親になんて説明しすればいいのかわからなかったし、寝れば治ると思っていたので、そのままにしておきました。でも、放尿の際、尿道がめちゃくちゃ痛くてその痛みは今でも忘れることができません。

 朝4時に目が覚めました。まだ肛門に違和感があったので、電気をつけてみてみたら、ベットの上が一面血に染まっていて、急いで親に伝えて、救急車を呼んでもらいました。

 

 

 

私を振り回してくるあの人から自分を守る本

私を振り回してくるあの人から自分を守る本

  • 作者:Joe
  • 発売日: 2021/02/05
  • メディア: Kindle
 

 

 

<病院にて>

 朝が早かったこともあり、近くの大きい病院の泌尿器科の先生が不在だったので市街の病院に搬送されることとなりました。放尿したくてもできない状態でしかも、ついてから、1時間待たされたのでとても大変な思いをしました。

 そして先生が来てようやく症状の説明をされて、集中医療室に連れられて行きました。手術の内容としては尿道を通って膀胱にまで管を通すといった内容でした。最初に麻酔として肛門の先からジェルを入れられて今までに味わったことのない不思議な気持ち悪い体験をしました。麻酔はそんなに痛くなかったのですが管を通すときはとても痛かったです。看護婦さんに抑えてもらいながらもずっとあがいていました。

 ようやく手術が終わり入院室に連れていかれました。

 

ここまで拝見ありがとうございます。

続きは次のブログであげます!(入院室での出来事)

 

 

俺様の自己紹介

 初めまして!セタと申します!ブログを始めるにあたって自己紹介をしていこうと思います。

簡単に

 日本の高校生で陸上部に所属しています。よく、ハーフと間違われる顔つきをしています。僕は結構間違われるの、うれしいんですよね~(笑)あと、身長は180㎝越で体重は75です。筋肉には少し自信ありますよ!

これまでの生きざま

 この方生まれてからたくさんの病気に見舞われています。まず、生まれてから、尿道の逆流する症状が発覚したり、生後一か月で40度超えそうな熱が出て入院したり、生後5か月で皮膚がただれてきてミイラみたいになったことがあったと母親からお聞きになりました。でも、これだけではすまず、これから先もたくさんの病気とケガに付き合わされる日々でした。。。

 

 幼稚園時代の記憶は正直全然残ってないです(笑)

 

 小学校は地元の小学校でした。自然が豊かで地域の人も親切でした。先生も数人うざい人がいるだけで、快適に過ごせてました。でも、今の自分が振り返るに、がたいもまあまあ良かったので僕には向かってくる子なんてそうそういなかったですね(笑)

 野球のクラブチームに入っていました。入りたての頃は試合もできない人数だったのですが、気が付けば20人くらい人のいるチームになっていました。試合が本格的にできるようになっていったのは、小学校5年生くらいの時で、ポジションは主にキャッチャーでした。ガタイの良さでキャッチャーにさせられていたんでと思います(笑)小学校時代の野球人生はそれはそれはつらい日々でした。。。平日2日土日祝日と、、、しかも、冬になると走り込みの練習があったりして、何度もやめたいと思ったことがありました。。。でも、親が引き止め、また、楽しかったチームだったので、乗り越えることができました!自慢になりますが、大会で優秀選手賞を取っていたぐらいのうまさでした(笑)

 

 中学校も地元の高校に行ってました。ここも、自然が多いところで、のんびり過ごせる学校生活でした。中学校の部活でも野球を続けていて、外部で硬式の野球部にはいっていました。そのチームは、まあまあ強いところで、監督、コーチもかなりきびしかったです。。。もし過去に戻れるのなら、その野球部には入るなと言いたいです(笑)めちゃくちゃ後悔しています。でも、結局1年半でやめました(笑)理由としてはケガが多いからです。やめるまでにも爪の化膿や膝に水がたまったり、尿道がえぐれたりしてしまって、大変な生活を送っていました。(また、詳しいことについては別のブログでお話ししようと思います。)でも、やめる決め手となったけがは、腰椎分離症です。。。治るのに半年以上もかかるといわれたのでお金も無駄だし、家族と話し合ってやめることを決めました。このことについては後悔してません!でも、そのケガが、治ってから学校の部活でまた、野球を再開しました(笑)結局僕は楽しい野球を望んでいたのです。

 勉強面では2年の2学期まで120人中3桁に入りそうな順位を取っていましたが、このままではいく高校がないという、危機感を持ち始めて、塾には行ったりして、10位前半に入れるくらいに成長できました!

 

  現在高校では地元の私立中学校に通っています。クラブ学力推薦で入学して、はじめは野球をしていました。でも、監督やコーチたちの対応の理不尽さに嫌気を指してわずか6か月間でやめてしまいました。そのあと、いろいろな部活から勧誘が来て、体験に行ったんですけど、一番良かったのが陸上部だったので、今は陸上部で楽しく活動しています!

おわりに

ざっと紹介しましたが、こんなかんじの人生を送ってきています。色んなことを発信していきます!温かい目でお守りください。これから、よろしくお願いします!!